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小江戸物語(ブログ)

江戸時代は男尊女卑なんて~真っ赤な嘘!

  • studioshowinfo
  • 2017年6月25日
  • 読了時間: 3分

幕末および明治維新の資料データをみれば 当時の日本の総人口はおよそ3000万人

90%が平民で農業などの一次産業従事者がなんと80%ほどで

商工業従事者が10%ほど、そして武士や僧侶や公家などが10% とザックリした区分になる

江戸初期の江戸の人口は15万人 京都が30万人で大坂が20万人というから 初期の江戸は寂しかったようだ

それが天保の改革の頃に最盛期を迎え 江戸人口は130万人を記録しているので200年で大層な隆盛ぶりを示している

江戸は城下町で城下の境には門塀があり門番が常駐していた

城下町住むのは武家、貴族、僧侶、そして商工民などになるので

職業別の人口比率では20%に該当する

総人口3000万人のうちの20%は600万人

そのうちの100万人が江戸住まいとなれば

完璧な一大都市で当時世界一の大都市だったというのも

容易に想像できるのかもしれない

その江戸人口の男女比率は1.8対1だったという つまり男2人に1人は独身という悲惨な状態だった これで「男尊女卑」などありえない!!

江戸の町民は長屋暮らしだった 水道はあったものの料金が高いので長屋の井戸で炊事した

水場は女性の社交場で、さらに水が高いので銭湯に行く

女性は社交場が多くあったわけだ

炊事といっても朝晩そして昼間時に売り子が 長屋を回っていたので、買ったものをそのまま食卓に出す

掃除といっても4畳半に3人~4人が住んでるので

ちょっと掃くのに時間も手間もいらない

つまり男は朝から晩まで外で働くが

女は結構な時間を持て余していたわけだ

そして昼間の長屋には誰もいない

気の合った男を連れ込んで励んでるときに 旦那が腹痛で帰ってくる・・・なんてこと結構あったようだけど

ここで女房に文句の一つも言ったもんじゃ 逃げ出されては困る~と、完璧に女尊男卑だ!

そもそも男女の深い関係なんてのは

今の時代よりも、もっともっと大らかでオープンで自由だった

また、別途、案内するが当時の日本は世界でももっとも

男女の恋愛事情が開放的で進歩的だったという学説も

以前から発表されているくらいだ

気が合う、親しくなるというのは、もちろんSEXありで

気がすれ違う疎遠になれば、もちろんSEXなしで

毎日時間を工面して逢ってやってるのだから

それなら一緒に住もうというのが江戸時代の大衆町民の

結婚観だったようで、だから気が疎遠になれば

それが離婚という現代で言う事実婚だったようだ

当時の人別帖というのは長屋の大家さんが今日の行政代行

のような感じで管理していたようなので事実婚でもなにも

不自由はなかったようだ

武家では三行半という離縁状があり また姦通罪という罪が女房には定められていた などから男尊女卑と小説や映画ドラマでは決まっているが これも逆だったようだ

これについて別の機会に説明する

失われた日本の文化と歴史を取り戻そう! 江戸時代は今いわれるような身分社会でもなければ 恐怖支配でもなかった 欧米よりも早く開花した町民(市民)文化の社会で 自由気ままに人生を社会を楽しんでいた 金、金、金の現代社会から悪魔に売り飛ばした 魂を取り戻そう! 賛成と思ったら、facebookページに いいね!を押してフォローしよう

 
 
 

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