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小江戸物語(ブログ)

相互扶助の江戸社会は人間不信の現代と違って人間尊重の社会だった!

  • studioshowinfo
  • 2017年6月25日
  • 読了時間: 3分

最近、クラウドファンディングという不特定多数者を 対象に活動への資金援助を募集するサイトが流行っている

簡単に言えば、ネットで手軽なカンパ募集のようなもので 金融支援とか投資募集という意味合いは薄いと思う

ところが日本社会は反応が鈍い 思い当たる理由は・・・

1)自分の都合で他人の金を当てにする泥棒行為 2)口先だけ上手に騙そうとする詐欺行為

と極端にいえば大変なネガティブな印象として 社会がまだまだ認めていないように思う

さらに、この背景を考えるに・・・ 金に対する意識があまりにも偏りすぎた社会に なったような気がしてならない

この話をこのまま続けると難しくなるので ちょっと違和感があるとは思うけど、ひとつ 例を挙げてみよう

最近富みにマスコミに対する違和感が強く広がっている 1)嘘しか言わない 2)どうでもいい記事を広げている 3)権力者のご機嫌取りでジャーナリズムを失ってる

・・・とマスコミ兼気が広がっているなかで 個人で真のジャーナリズムを追求しようとする人々も増えている

彼らは一応にネットでカンパを募集しながら 私財を喰い潰しながらも頑張っているが人々の社会の反応は鈍い

この原因こそが問題なのだ 嫌気する既存マスコミ企業に比べあまりにも 個人ジャーナリストの社会的信用度は低い

また、情報収集力も分析力も発散発信力も低い だから、経済的な金銭価値の低い個人になど しかもカンパとして月1500円など、とてもじゃ ないが払えない。そんなカンパをネットで流すなど とんでもない傲慢だ!詐欺のようなものだ・・・と!!

しかし、考えてみよう 既存のマスコミはスポンサー企業でなりたつ経済行為だ

だから、スポンサーにとって不都合なことなど

最初から報道できないではないか

そのスポンサーたちに影響力を持つ政府や行政に 不都合なことなど報道できないのが資金の流れ を見ると自明の理なのだ

だからこそ、そういった経済理論や資本の論理とか 金に支配されない個人の信念と情熱で人々が真に 求める情報を取材し発信しようというジャーナリズムが登場するのだ

彼らが主張するのは個人対個人の人間関係や ひとりの人間としての人間性を主張しているのを 何人が理解しているのだろう?

今日の経済社会での相対比較による金銭評価でしか ものごとを判断できなくなった心の貧しさへの 反発が直感的な江戸社会への回帰や憧れではないのかと思う

江戸時代は、まだまだ相互扶助の精神や社会が 成り立っていた・・・それを順次解説するのだけど その相互扶助の根底は、人間尊重なのだ

お互いに相手の人間性や人格を認め合ったうえで お互いがお互いのために必要だからこそ 物々交換のような精神で商品を買ったり サービスを交換するように互いに助け合う

それが江戸町民文化の輝きではなかったのだろうか? もちろん武士もそんな文化に仲間入りしていた 一緒に銭湯に入り茶店で団子を喰い 花見をし酒を酌み交わしていた

江戸末期の浮世絵は現代のブロマイドでもあり ポルノでもあり性教育の教科書でもあった それを武士も町人も同じように並んで買っていた

失われた日本の文化と歴史を取り戻そう! 江戸時代は今いわれるような身分社会でもなければ 恐怖支配でもなかった 欧米よりも早く開花した町民(市民)文化の社会で 自由気ままに人生を社会を楽しんでいた 金、金、金の現代社会から悪魔に売り飛ばした 魂を取り戻そう! 賛成と思ったら、facebookページに いいね!を押してフォローしよう

 
 
 

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