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小江戸物語(ブログ)

江戸庶民はオープンだった・・・鍵など不要!相互信頼と粋な礼儀で、みんなが仲間意識・・・いまでも地方に行けば鍵など不要だけど仲間意識が違うね!!

  • studioshowinfo
  • 2017年7月22日
  • 読了時間: 3分

           「江戸名所道戯尽 鎧のわたし七夕祭」(歌川広景、1859)

この広重の浮世絵からも見えるように

江戸の町は武家も町民も、そして百姓も

みんなに仲間意識が芽生えお互いに共同生活の

相棒だった

士農工商なんて身分社会というのは真っ赤な嘘!

江戸の町はなにもかもがあっけらかんと

オープンでお互いを思いやる気持ちに溢れていた!!

本当に理想郷のような生活文化が芽生えていたようだ

その原因はなんだろう?

1)江戸城ができ徳川家康が征夷大将軍となったころ

  江戸の人口は15万人ほど

  京都が35万人、大坂が25万人というから

  初期の江戸は小さな街だった

2)徳川三代将軍「家光」のころに

  武家諸法度や参勤交代など武家の生活や素行を

  厳しく取り締まる制度ができた

3)1年ごとに大名本人と大名の家族が交代で江戸住まいを

  しなければならない規則で江戸の町は一気に武家が

  あふれた

4)その大名たちの生活を支えるために地方から

  どっと職人たちが江戸に集まり集まり

  江戸中期には世界一の大都市人口100万人を

  超えた

5)大名相手の商売じゃ、金のとりっぱぐれがない

  わけで、幕末でも職人に仕事が絶えることがなかった

  といわれる

6)ところが江戸の町の70%が武家屋敷関連で占められ

  15%が寺社仏閣で残りの15%に江戸町民50万人が

  暮らしたことになる

7)ご存知の長屋住まいが基本で30人~50人ほどの

  住人がひとつの長屋に住んだ。今でいうテラスハウスとか

  ルームシェアのような生活スタイルだが当時の江戸は火事が

  多く、いつ燃えてもいいように家屋は粗末だった

  人々も生活に必要最小限の道具や着物で必要に応じて

  レンタルするような生活。互いに、住民同士のプライバシー

  は貧弱なようでSEXしても周りに聞こえる見られる   食事はお互いに知り尽くしてるから塩や醤油の貸し借りも

  頻繁で大家族生活のようなもの

8)武家は下働きをしてくれる町民がいなければ即座に

  生活が窮するし、町民は武家というスポンサーがいなければ

  仕事がなくなるし、うまい具合に町全体が持ちつ持たれつの

  共同社会を形成したいたものと推測される

9)お互いに仲間意識が積み重ねられ、どうせなら楽しく

  という訳で独特のウィットや笑いやセンスが生まれて

  育ったものと考察される

失われた日本の文化と歴史を取り戻そう! 江戸時代は今いわれるような身分社会でもなければ 恐怖支配でもなかった 欧米よりも早く開花した町民(市民)文化の社会で 自由気ままに人生を社会を楽しんでいた 金、金、金の現代社会から悪魔に売り飛ばした 魂を取り戻そう! 賛成と思ったら、facebookページに いいね!を押してフォローしよう

 
 
 

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